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永観堂・禅林寺(えいかんどう・ぜんりんじ)見返り阿弥陀と紅葉の寺

永観堂は通称で、正しくは禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山である

ここ永観堂はふたつのことで有名である。南禅寺の北に寺域を接するように位置する。

ひとつは「見返り阿弥陀」とよばれ、うしろを振りむくように首を左にむけた高さ77cmあまりの小さなご本尊である。この仏像の由来はこうだ。1082年(永保2) 2月15日の早朝、禅林寺7世住持の永観は、念仏を唱えながら行道していると、壇上から本尊の阿弥陀如来がおりてこられ、永観を先導するように歩きはじめられた。驚いて立ちつくす永観に、阿弥陀如来はふり返り「永観遅し」と声をおかけになったのである。
この姿を彫ったのが本堂阿弥陀堂に安置されている「見返り阿弥陀」である。なお、このことから永観は禅林寺の中興の祖とされ、当寺の通称名となった。

もうひとつ「秋はもみじの永観堂」と京都人の口の端にのぼる紅葉の名所であることだ。境内の楓は3000本を超えるといい、紅葉時には境内が真紅に染まる。

寺の創建と山際の諸堂

禅林寺の創建は853年(仁寿3)空海の高弟真紹が、文人で書家として知られる藤原関雄の山荘を真言密教の道場にしたことによる。

その後、火災で諸堂を失うが、5世深覚とその弟子の永観が再興した。その後の住持が法然に帰依して13世紀初めに真言宗から浄土宗へ正式に改めた。

ふたたび応仁の乱などで伽藍諸堂を焼失するが、1497年(明応6)から永正年間(1504~21)にかけて御影堂、書院、方丈、回廊が建てられ、1607年(慶長12)には阿弥陀堂が完成して今日の寺観となった。

永観堂は総門を入って放生池の周辺を散策しているときは気がつかないが、本坊の大玄関から諸堂内をみてまわり、御影堂から先の階段をのぼりはじめると、この寺の堂宇はまさに山崖に貼りついて建っていることがわかる。少しでも山が崩れれば永観堂の建物は無事ではすまないと怖れるほどである。とくに斜面をかけ上がる「臥龍廊(がりゅうろう)」と名づけられた回廊をめぐるとそのスリリングな構造がよくわかる。
また、御影堂の脇から多宝塔にのぼれば、京都市街が一望できて、京都御苑や双ケ丘、左大文字をひろびろと見晴らすことができる。

京都市左京区永観堂町48
075(761)0007
午前9時~午後5時
拝観料 一般 600円 小・中・高生 400円
HP: http://www.eikando.or.jp/
地下鉄東西線蹴上下車徒歩10分

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